« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

2008年12月の投稿

2008年12月30日 (火)

自然薯

Img_0757

 ついに年内に手に入れました。  この間からとろろ汁が食べたくて

天然の自然薯を探していたのですが、オークションでも競り落としそこねて

もう来年にしようと思っていました。 今日千葉方面にゴルフに行った夫

がたまたまゴルフ場のクラブハウスで売っていたものを買ってきてくれました。

山で掘り出してきたものだそうですが、それにしてはちょっときれい過ぎるかな。

せっかくですから明日はとろろ蕎麦、それからとろろ飯にして楽しもうと思います。 

  私の父がとろろ汁が大好きで実家でもよくとろろを作ったものですが

そんな時はすり鉢を動かないように押さえてよーく目をこらして擂り残しの

芋の粒がないか探して母に教えるのが子供の仕事でした。

 時々とろろ芋が手につくとかゆくてかゆくて。 でも食べる時は口のまわりが

かゆくなっても夢中で食べてました。

 もうずいぶん昔にテレビで自然薯掘りのドキュメンタリーを見てしばらくは

いつか絶対私も掘りに行きたいと思って、あの特徴的な自然薯のハート型の

葉っぱに敏感になっていました。 自然薯掘りは相当体力ないとだめそうですが

1メートル以上もある芋を途中で切れないように掘り出した時の達成感というのは

山菜採りやキノコ狩りでは味わえない気がするんです。 検索すると自然薯掘り

ツアーというのもあるようなんですけど、どうも畑で掘るツアーのようで それだと

なんかつまらないですよね。 このところ自然薯関連の情報を検索しては

妄想ネット自然薯掘りをしています。 

     お願い誰か私を自然薯掘りに連れてって~

2008年12月28日 (日)

年末のおでん

Img_0756

 いよいよ今年も残り少なくなりました。 昨日で私も今年は繍い納めとして

刺繍台をとりあえず見えないところにしまいました。

今日から大掃除も年賀状も大急ぎでとりかかります。 と同時に二人の

サラリーマンが休みに突入して家でごろごろしていて三度の食事の支度で

なんだか一日があっという間に過ぎてしまいました。 そこで今日はおでんです。

アルマイトの大鍋にいっぱいに作りました。 なくなるまで食べていただきます。

飽きたなどとは言わせません。 

おでんは地方ごとに味付けも具もいろいろあるようで コンビニでもその土地の

味付けを取り入れたりしているみたいですね。

我が家では味は関西風の薄味で 定番の大根・たまご・こんにゃく・結び昆布

などの他に必ず砂肝串・鳥手羽・蛸足・巾着を入れます。 巾着にはいつもは

お餅を入れますが、今日は中に讃岐うどんと細葱を入れています。 

お正月に新鮮な気分でお雑煮を食べたいのでおうどんにしました。

これはなかなか好評です。

うちでは はんぺんや竹輪 さつま揚げなどはなぜか人気がなくて残って

しまうので少しだけにします。 こういうものを入れないとどうも味がおでんぽく

ならない気がしてだしのつもりでいれています。 以前は里芋・八つ頭・ジャガイモ

などのイモ類も入れていたんですが、これも食べるのは私だけなんです。

そうそう関西では食べない ちくわぶ は我が家では大根につぐ人気もので

必ず入ってます。

皆さんのおすすめのおでん種はなんですか? 牛スジというのは時間がかかるの

かしら。 忙しい時のお助けメニューなので下ごしらえの簡単なもの限定で教えて

くださいって、 忙しくてそれどころじゃないですね

 

2008年12月24日 (水)

大好きな絵本

 先日りんごを食べながら 「えんやら りんごの木」という絵本のことを

思い出して 冒頭の部分を口ずさんだらどんどん次のフレーズが出てきて

びっくり。 これは長男が大好きだった絵本で何十回も読み聞かせたので

すっかり憶えてしまっていたんです。

 長女のお気に入りはなんといっても「ノンタン シリーズ」と「ぐりとぐら」 

今年ノンタンの作者であるキヨノサチコさんは亡くなられましたね。 

お冥福をお祈りすると共にこころからお礼を申し上げたいです。 

子育て中はお気に入りの絵本にどれだけ助けられたか。

 私自身の子供時代を振り返ると なんといっても岩波の子どもの本ですね。

今に至るまで読みつがれている秀作がたくさんあります。

ちいさいおうち・ちびくろさんぼ・おさるのジョージ・はなのすきなうし

ふしぎなたいこ・ききみみずきん・おそばのくきはなぜあかい

かぞえあげたらきりがないくらい。 ちびくろさんぼ以外は今でも絶版にはなって

いないとおもいます。 ちびくろさんぼは差別的だということで絶版になりましたが、

トラがバターになっちゃうところとか、ホットケーキを山ほどたべるところとか

大好きでした。 岩波書店以外のところから復刻されたとかされないとか、、、

中でも特に印象に残っている本はこの二つです。

Img046_2  九月姫とウグイスはサマセット・モーム

唯一の童話としても知られていますが、

もちろん子供の時はそんなことは知る由

もなく、シンデレラでも白雪姫でもなく

シャムのお姫様というところが、子供心

にもエキゾチシズムをかきたてられたんで

しょうか。またじつに挿絵がいいんです。

 絵は武井武雄さん この方は今回

はじめて知ったのですが、童画という言葉を生み出した方で子供の琴線に

ふれるすぐれた絵を残された方です。 一目みて外国人の描いた絵では

ない何か日本的なモダンさや情緒のある絵です。 

岡谷市にこの方の美術館 イルフ童画館 があるそうです。 

Img047 そしてもう1つはこの金のニワトリです。

舞台はロシア、プーシキンの物語詩

を下敷きにハンガリーの画家 ポガニー夫妻

が作った童話です。 ストーリーは今読む

と実にツッコミどころ満載のたわいない

おとぎばなしなのですが、ごちそうを食べて

昼寝ばかりしているなまけものの王様が最後

まで肯定的に描かれていて、もともとの詩は

どういうものかしらないのですが、風刺や教訓色は薄まっていてそこがいいです。

これも絵がすばらしいです。  絵を描いたウィリー・ポガニーさんは後にアメリカ

に渡って建築家になったそうです。 どんな建物を作ったのか、のこっているので

あれば見てみたいものです。 

いまでもエキゾチックなものや鮮やかなコントラストの配色に惹かれる私の原点

はこういうところにあったのかとあらためて気づかされました。

2008年12月19日 (金)

ショコラショー

 昨日 ふと立ち寄った カドルサム というお店でみつけた

棒つきのショコラショーです。 商品名はショコ・レ。一応ベルギー大使館

推奨品だそうです。

ココアというかホットチョコレートのことをショコラショーというみたいなん

ですが本物をのんだことがないのでよくわかりません。

ほんとは小さいポットのようなもので出てきてかなり濃厚なもののようです。 

これはインスタントショコラショーですね。Img_0747

写真のような棒つきチョコレートをあたためた牛乳に入れてゆっくり溶かす

だけで甘いホットチョコレートのできあがりです。

さ~ みんなついて来て

Img_0749_3

Img_0751_2

Img_0752

 

これで出来上がり

味は四種類 ダーク・ミルク・コアントロー・ヘーゼルナッツ です。

1つ 350円程でちょっと高いですが、気分が落ち込んだ時などにいいと

思いますよ。 あとちょっとしたプレゼントにも。

PLAZA か ナチュラルローソン でも買えるようです。

カドルサム というお店は外国絵本のキャラクターを使った キャラクター商品

を扱っているお店です。 ムーミン バーバパパ おさるのジョージ  などなど

かわいいものがいっぱい。 クリスマスが近いせいか華やいだ雰囲気につい

吸い込まれるようにお店の中へ。  人気キャラクターの中にこんななつかしい

キャラクターをみつけてしまいました。

Img045

~子猫のピッチ~ 右下の籠の中にいるのがピッチです。

子供のころよんだ岩波のこどもの本のピッチです。 そんなに有名なキャラクター

ではないけど、とっても絵がいいんですよね。 ほんとになつかしくてノート

を買っちゃいました。 絵本も新しくでているようですが、大きい版のものに

なっていて、やっぱり昔の岩波のサイズじゃないとと思って買うのはやめました。

次回はちょっと絵本の話をしようかな。

2008年12月18日 (木)

プラチナボーイ

 プラチナボーイってなんだと思いますか?

これ蚕の品種なんです。 文字通りオスのみが孵化して

純白のプラチナのように貴重で優秀な糸を吐くんだそうです。

危機的な状況にある国内産生糸を何とか守りたいと長年の研究の末に

開発された品種だそうです。 そもそも蚕のオスの吐く糸は産卵に余分な

蛋白質を使わない分 丈夫で長く光沢もあるのだそうですが、蚕の段階で

オスとメスを見分けてより分けるなどということはほとんど不可能なため

今までオスの蚕のみの糸というものは作れなかったんだそうです。

そこで遺伝子操作をしてオスしか孵化しない品種を作ることによって

初めてオスのみの繭というものが作れるようになったそうです。

しかも通常の場合、熱をかけて繭の中のさなぎを殺してから糸をひくのですが

プラチナボーイは中でさなぎが生きている状態で糸をひくのでさらに良い糸が

取れるのだそうです。 プラチナボーイで織られた織物は光沢も手触りも

丈夫さも兼ね備えてすばらしい絹織物になるそうです。 なぜこんなことを

するかというとやはり輸入の絹では絶対に真似できない付加価値をつける

ことでなんとか国産絹の競争力を上げようということなんでしょう。

ただしプラチナボーイで織られた反物、当然ですが高価です。

これからもう少し生産量が増えれば少しは値段もこなれてくるかもしれません。

でも到底庶民には手の届かない高級品ですね。

もう1つ 国産の絹をめぐる試みとして夕方のニュースで紹介されていたのは

蚕にオワンクラゲや珊瑚などの光る生物の遺伝子を組み込んで光る生糸を

作るというものです。 そうノーベル化学賞のあれです。 ブルーライトを当てると

怪しく オレンジ色や緑色に光るんです。 

う~ん絹糸を光らせてもね~

紅白歌合戦で小林幸子か美川憲一に使ってもらうくらいしか使い途

思い浮かばないんだけど。

それでなくても殺されてせっかくつくった繭をみぐるみはがされる運命なのに

こんどは遺伝子操作でメスは生まれることすらできなかったり、蛍光色に

光らせられたり、それが国産の絹を守ることにつながるのかな~

  遺伝子操作で巨大化した蚕がモスラとなって東京を襲ってくるか、

  はたまた 赤や緑の蛍光色の斑点を光らせながら、ナウシカのオームの

  ように地響きを上げて、、、、

2008年12月11日 (木)

有料のお水

 だいたいにおいて何でもおいしくいただける私はグルメ記事は

どうもうまく書けません。 ブログをはじめてから外食の時は

お料理の写真は撮るようにはしているんですが、これがうまく撮れなくて

ボツにすることも多いんです。 

先日長女といった 玉川高島屋の裏あたりにあるフレンチのお店は

お料理はたいへんおいしかったんですが、、、、、

長女が予約してくれたそのお店には予約の時間の10分ほど前について

名前を告げると感じのいい女性が出てきて 少々お待ちください と言って

わたしたちを入り口の狭い通路に待たせたまま 先客のオーダーを

取りに行ってしまいました。 その間待たされること5分以上結局彼女は

オーダーをとり終わるまでもどってきませんでした。 狭い店なので入り口

から店の全体が見渡せるので、客がその一組しかいないことも、私たちの

目の前にグラスを拭いている外人の男の子のスタッフがいることも状況

は把握できました。  オーダーの途中でお客様が考えている間に

私たちを席に案内することもできるし、その外人のスタッフは客を席に

案内してしばらくお待ちくださいとも言えないんだろうかと最初からなんか

ちいさな  イライラ  が芽生えてしまいました。

さてオーダーということになって先に飲み物をということになったのですが、

水かワインしかないんです。 その水がグラスワインかと思うような値段

なんです。 私も長女もお酒は飲めないのですが、私はランチの水にお金

払うのが悔しくてグラスワインを頼みましたが、長女は結局水をオーダー

しました。 その時点でまた イライラ がつのっていたのですがそれから

お料理をきめようとすると それは時間がかかりますが というので

どのくらいかかりますか?と聞くと 逆に何時にこの店を出たいかと

聞くので 2時ころには出たいというと それは無理です的なリアクションで

シェフに聞いてきますというんです。 その時点でまだ12時半前ですよ。

まだ1時間半以上もあるというのに そんなに非常識なことを言ったかしら

と思いましたが、私たちより後に入ってきた客とも同じようなやりとりが

あったので、 シェフ一人でやっていてそうとう気難しい人物かしらと

想像しました。 結局私たちはデザートをやめてそれでも1時半ころには

店を後にしました。 そりゃそうでしょう私たち含めて客は3組しか

いなかったんですから。 そのころには イライラ は頂点に達して

いました。 厨房の入り口付近にいた外人のスタッフは一回だけ水を

注ぎに来ただけでそれ以外何の役にもたっていませんでした。

もしかして日本語もしゃべれないのに飾りとして雇ってるんじゃない

でしょうね~

 というわけで 水の話をしようと思っていたのに前置きが長すぎました。

いつごろから日本のフレンチやイタリアンでは水にお金をとるように

なったんでしょうか。確かに海外などで水の安全が確保できないところ

では私も有料のガス入りの水を頼みます。 ガス入りの水なら栓を抜いて

持ってこられてもガスが抜けていなければ安心かしらと思って。

レストラン側が飲み物でもうけたい気持ちはわかるんだけど、水の自給には

困っていない日本で高い外国製の水を輸入する必要があるんでしょうか。

実は私もボルヴィックが好きで一時ケースで買っていたことがあるんですが、

1ℓ for  10ℓ というキャンペーンで ボルヴィックが売り上げを伸ばしたという

ことを聞いてなんか逆に変だと思っちゃったんですね。

確かにアフリカの子供たちが清潔な水を飲めるということはいいこと

なんでしょうけど 地球が長い時間をかけて蓄えた水をガンガン汲み上げて

お金にかえているってことですよね。 それってぜんぜんエコじゃないでしょ。

日本は すくなくとも水くらいは国内産で自給できるんだから日本の水を

飲みましょうよ。 少なくとも 選べるようにしてもらいたい。

 水道水と国産のミネラルウォーター のどちらかで。

検索を使って調べたところ同じように感じている人にこんなアドバイスが

載っていました。 にっこり笑ってソムリエに言いましょう。

    私は ~東京都水道局の2008年ものを~ と

2008年12月 8日 (月)

完熟りんご

Img_0738

 主人のふるさと 青森からりんごが届きました。 送ってくれたのは

弘前に嫁いだ義妹です。  

Img_0739

完熟りんごの中は こんな感じで蜜が入っています。

今年はひょうの被害があってたくさんのりんごが傷ついてしまったようです。

わざわざ アップルロードにある せいの農園 まで足をはこんでくれ

ました。 弘前の アップルロードというのは岩木山を背景に延々とりんご畑

が続いているんだそうです。 いつか花の季節にいってみたいな

フジという品種はそんなにかおりは強くはないですが、これは葉とらずの

完熟りんごなので、すいかのようにぱりっと切れてかおりもいいです。

日光をあててりんごの赤い色づきをよくするために摘まれていたりんごの

葉っぱを残すことで糖度がぐんと増すそうです。

スーパーなどでも葉とらずりんごという言葉を最近は目にするように

なりましたけど、考えてみれば葉っぱをつまれてしまったらその分光合成が

できなくなるわけで味が落ちるということは素人でも理解できますよね。

でもわかっていてもなかなか修正できないものなんでしょうか。

こういうことってたくさんありますよね。

2008年12月 6日 (土)

真砂市場

Img_0729_2

 真砂市場は東京でももういくつも残っていない絶滅寸前の区設の

小売市場です。  大正9年からあるんだそうです。

日本刺繍のお教室から歩いて数分の距離で文京区の区民センター

の一階にあります。 真砂町にあるから 真砂市場なんですね。

真砂町といえば 真砂町の先生→婦系図 と連想する私ももしかして

もはやレアな存在?

なんかここだけ昭和がまるごと残されています。

Img_0728_3

入り口をはいったところはこんな感じです。 ひととおりの食品や

日用品はそろうのですが、活気がないですね。 昨日テレビで紹介され

ていた、てんぷら屋さんの前には少し人が並んでますけど。

Img_0732_2

せっかく来たので あなごと野菜の天麩羅を買って帰りました。

テレビで報道されたせいか、天麩羅屋さんのおじさんとおばさん忙しそう

でした。 でも一声かけてくれるところが、対面販売のよさですね。

こういうところが生き残っていくのはやっぱりむずかしいのかな

Img_0737

外に出ると後楽園はすぐそこ、平成の師走でした。

 衣の厚いおそうざい天麩羅は思いのほかおいしかったです

2008年12月 1日 (月)

小林 礫斎

 先日、五島美術館ではじめて知った 稀代のミニチュア工芸

職人 小林礫斎 のことを調べるため たばこと塩の博物館

に行ってきました。 残念ながら常設展示はなかったので過去の

展示会の図録を買ってきました。 いや~もうすごいとしかいいようが

ないです。 写真で見るだけでもそのすごさが伝わってきます。

まずは たばこと塩の博物館のコレクションギャラリーからミニチュアの

コーナーにアクセスしてみてください。 すこし拡大してある写真ですので

必ず寸法を確認してください。この方の作品は数倍に 拡大した

写真でも不自然さやくるいがないのでうっかりするとすごさがかえって

つたわらないんです。

もともとは根付・こはぜ・櫛・きせる筒などの角細工を生業とする家に明治

37年に生まれ 後に四代目礫斎となり昭和34年に75歳でなくなるまで

信じられないほど緻密なミニチュアの数々を制作プロデュースした方です。

たんなるミニチュアではなく繊細巧芸 または 繊巧美術 と呼ばれる

アートです。 もともときせる筒などを製作して袋物商におさめていた礫斎の

人生と作品は「袋物商」とその主力商品であった「煙草入れ」に深く関わって

います。 古渡り更紗→袋物→煙草入れ→ミニチュア と私の中ですっきりと

つながりました。  それでは最後の煙草入れがミニチュアにつながっていく

ところを少し説明します。 江戸から明治へと時代がうつり武士が帯刀をやめ

庶民の生活にあったさまざまな規制がなくなったことから、刀に装飾をほどこし

ていた職人たちも刀の替わりに煙草入れの装飾に携わるようになります。

こうして煙草入れを中心とした袋物は高度に洗練されていきます。

池田重子さんの袋物のコレクションの中にもこの時代の袋物商が扱っていた

すばらしいものが数多くありますよね。 今に残る煙草入れの名品は実は

江戸時代よりもこの時代に生まれたものが多いそうです。

さて昭和初期になってきざみ煙草から紙巻き煙草へと時代が移ると

煙草入れの需要も無くなり袋物商も煙草入れ以外の商品にシフトせざるを

得なくなっていったわけです。 そんな中非常に器用に細かい仕事を的確

にこなす礫斎は求めに応じてミニチュアの制作をはじめます。

全部自分で制作した時期もあったようですが、ほとんどは礫斎の設計を

もとに一流の職人たちがそれぞれの分野で協力するという共同制作という形

をとったようです。 礫斎という人はそういう一流の職人たちをまとめあげる

だけの圧倒的技と人間的魅力を持った人だったようで、エピソードも多く

残されています。   おたくの変人かも なんて言ってごめんあそばせ。

毎日一升お酒を飲むそうとうな遊び人だったようで、家族の苦労は並では

なかったようです。 最期に家族を呼び集めて一言「すまなかった。」といって

大往生したんですって。

実際に作品を見られる機会があったら必ず見に行くつもりです。

もう予習はばっちりです。 早くどこかで展示してください

« 2008年11月 | トップページ | 2009年1月 »

最近のトラックバック

2021年7月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
無料ブログはココログ