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2008年12月 1日 (月)

小林 礫斎

 先日、五島美術館ではじめて知った 稀代のミニチュア工芸

職人 小林礫斎 のことを調べるため たばこと塩の博物館

に行ってきました。 残念ながら常設展示はなかったので過去の

展示会の図録を買ってきました。 いや~もうすごいとしかいいようが

ないです。 写真で見るだけでもそのすごさが伝わってきます。

まずは たばこと塩の博物館のコレクションギャラリーからミニチュアの

コーナーにアクセスしてみてください。 すこし拡大してある写真ですので

必ず寸法を確認してください。この方の作品は数倍に 拡大した

写真でも不自然さやくるいがないのでうっかりするとすごさがかえって

つたわらないんです。

もともとは根付・こはぜ・櫛・きせる筒などの角細工を生業とする家に明治

37年に生まれ 後に四代目礫斎となり昭和34年に75歳でなくなるまで

信じられないほど緻密なミニチュアの数々を制作プロデュースした方です。

たんなるミニチュアではなく繊細巧芸 または 繊巧美術 と呼ばれる

アートです。 もともときせる筒などを製作して袋物商におさめていた礫斎の

人生と作品は「袋物商」とその主力商品であった「煙草入れ」に深く関わって

います。 古渡り更紗→袋物→煙草入れ→ミニチュア と私の中ですっきりと

つながりました。  それでは最後の煙草入れがミニチュアにつながっていく

ところを少し説明します。 江戸から明治へと時代がうつり武士が帯刀をやめ

庶民の生活にあったさまざまな規制がなくなったことから、刀に装飾をほどこし

ていた職人たちも刀の替わりに煙草入れの装飾に携わるようになります。

こうして煙草入れを中心とした袋物は高度に洗練されていきます。

池田重子さんの袋物のコレクションの中にもこの時代の袋物商が扱っていた

すばらしいものが数多くありますよね。 今に残る煙草入れの名品は実は

江戸時代よりもこの時代に生まれたものが多いそうです。

さて昭和初期になってきざみ煙草から紙巻き煙草へと時代が移ると

煙草入れの需要も無くなり袋物商も煙草入れ以外の商品にシフトせざるを

得なくなっていったわけです。 そんな中非常に器用に細かい仕事を的確

にこなす礫斎は求めに応じてミニチュアの制作をはじめます。

全部自分で制作した時期もあったようですが、ほとんどは礫斎の設計を

もとに一流の職人たちがそれぞれの分野で協力するという共同制作という形

をとったようです。 礫斎という人はそういう一流の職人たちをまとめあげる

だけの圧倒的技と人間的魅力を持った人だったようで、エピソードも多く

残されています。   おたくの変人かも なんて言ってごめんあそばせ。

毎日一升お酒を飲むそうとうな遊び人だったようで、家族の苦労は並では

なかったようです。 最期に家族を呼び集めて一言「すまなかった。」といって

大往生したんですって。

実際に作品を見られる機会があったら必ず見に行くつもりです。

もう予習はばっちりです。 早くどこかで展示してください

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コメント

まだ見たこともないのに、その礫斎さんとやら、好きになってきました♪
キムタクもおいしそうですね~

ノブ様
この方の作品はミニチュア好きでなくても見たほうが
いいと思う。 礫斎を調べていてわかったんだけど、
明治から戦前までって工芸の黄金時代だったみたい。
その時の職人さんって名前と作品以外のことは
ほとんど調べてもわからないんだそうです。今なら
きっと人間国宝だよね。 歴史にもしもはないけど、
戦争がなかったらどうだったのかな

え、、、もう、行かれたんですか、、、(・_・)
なんという、フットワークの軽さ、、、!!!、

それにしても、ここ、行ったことがあります、、、
ずいぶん前ですけど、
な~ンにも、覚えてないです、、、(^^ゞ

きぬえ様
小林礫斎にたどりついたのもきぬえさんのおかげです。
この人 腕も確かだけどそうとうおもしろそうな人で
図録になんと別冊で 語録集のような冊子がついているんです。
ファンクラブがあったら入りたいんだけど。

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